近況報告(Stay Home)

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ブリット野口です。

6月から通常営業に戻った。4月、5月は店舗営業を減らし、在宅勤務に切り替え、人との接触を減らした。在宅勤務といっても、自宅では自転車の販売ができないので、トレイル整備や草刈作業、動画撮影など、「独り作業」を淡々と繰り返した。

チェーンソーを片手に山へ入り、道を作る。そして、マウンテンバイクで走る。

コロナ禍の不自由な生活の中で「自宅待機」と「自給自足」がリンクし、20年前に購入したヘンリー・ソローの「森の生活」を手に取ったが、内容を思い出せなかった。

調べてみると、「読者はキャンプ生活のノウハウを書いた本と勘違いして、この本を買ってしまう。読んでみて、ちっとも面白くない、むしろ思想書ではないか、と気づいて、先を読み続ける根気のある人と積ん読本にしてしまうかの分かれ目になってしまう。」との情報を得た。私も勘違いして買ってしまったのだろう。20年前のことで思い出せない。
そして、「この本は読むのは大変であるが、人生を作っていく上に血肉を与えてくれる一文に出会う可能性が高い。適当なところを開いて時間のある限り読んでみるというスタンスでいい。初めから順に読む必要はない。気になる一文にぶつかったら、自分の場合はどうかと考えてみる。生活、自然、環境、周囲の人々との付き合い、多様な内容なので、初めからすべてを理解しようと思わないことだ。」と助言があった。

気になる一文として、「より高い原理」という章に、次のような文章がある。
まず猟師、あるいは釣り人として森に入り、詩人なり博物学者となって出てゆくこと。漁夫、猟師、きこりなど、野や森で生活している人たち、彼ら自身が「自然」の一部になっている人たちは、期待感をもって「自然」に接する哲学者や詩人などよりも、仕事の合間に「自然」を観察している。「自然」のほうでも、そういう人たちには恐れることなく自分をさらけ出す。単なる旅行者は、ものごとを聞きかじり中途半端にしか学ぶことができないから物知りとはいえない。

ソローは人生そのものに向き合うため、「自然」そのものとして過ごし、実在を見つめようとした。森に自分で小屋を建て、作物を育て、手を動かす労働のみで暮らした。ソローは最低限必要なものだけで暮らす生活の実践から、人間の労苦は人間自身が生み出しているという考えに至った。人は不必要なものを買うために必死で働き、必死で働くので必死で食べなければならない。しかし、その労力は内面の探求にこそ向けるべきではないか、とソローは問いかける。ウォールデン湖畔での自然観察、そこでの孤独の意味、読書について、一人暮らしの意味、湖畔に訪れる動物との交流とテーマは次々と広がっていく。

≪結論≫
私には「森の生活」はできない。社会的距離を保ちながら、森に近い田舎で暮らす、白洲次郎の「カントリージェントルマン」スタイルが性に合っている。

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