AIに「何を聞けばいいかわからない」里山で見えてきた、問いを失った時代
AIに「何を聞けばいいかわからない」
里山で見えてきた、問いを失った時代
ブリット野口です。
最近、400本を超えるブログ記事をGoogle NotebookLMに読み込ませ、AIと対話できるようにした。
私が10年以上書き続けてきた里山での記録や、自転車店での経験、狩猟やサイクルツーリズムの考察を、AIが検索し、対話形式で答えてくれる。
知人にもリンクを送り、「気になることがあれば、何でも聞いてみてください。」と伝えてみた。
私は内心、「こんな質問をしてみた」「こんな答えが返ってきた」という感想が返ってくることを期待していた。
しかし、返ってきた答えは意外だった。
特に質問したいことがなかった。
最初は、「自分の活動に興味がないだけなのだろう」と思った。
しかし、その言葉が妙に頭に残った。
本当に興味がないだけなのだろうか。
考え続けているうちに、一つの仮説にたどり着いた。
もしかすると、多くの人は「質問したいことがない」のではなく、「問いを立てる習慣」が少しずつ失われているのではないだろうか。
私たちは毎日、膨大な情報に囲まれて暮らしている。スマートフォンを開けば、ニュースやSNS、動画が次々と流れてくる。面白そうなものを眺め、次へスクロールする。必要な情報を自分から探しに行くというより、アルゴリズムが選んだ情報を受け取り続ける生活だ。
もちろん、それ自体が悪いわけではない。私自身もSNSを見る。
しかし、その時間が長くなるほど、「自分は何を知りたいのか」を考える時間は減っていく。
SNSは問いを必要としない。一方で、AIは違う。
AIは、「あなたは何を知りたいですか。」という問いから始まる道具だ。
だから、問いがなければ、AIは驚くほど静かな存在になる。
では、私の問いはどこから生まれているのだろう。振り返ってみると、そのほとんどは里山の現場だった。
今年はイノシシの行動が去年と違う。
なぜだろう。暖冬の影響なのか。竹林が増えたのは人の手が入らなくなったからか。気候変動が働き方を変えつつあるのではないか。地域の人口減少は、これからどんな生業を残していくのだろう。
こうした違和感は、机の上では生まれない。現場を歩き、観察し、「あれ?」と感じることから始まる。
そして、その問いをAIに投げてみる。AIは過去の記事や一般的な知識を整理し、新しい視点を示してくれる。
しかし、それで終わりではない。もう一度、現場へ戻る。本当にAIの考えは当てはまるのか。自分の目で確かめる。この往復がとても面白い。
最近、「AIが人間の仕事を奪う」とよく言われる。
しかし、私が里山で感じているのは少し違う。AIは文章を書くことも、要約することも得意だ。
行政の仕様書を整理したり、過去の記録を比較したりすることもできる。
けれど、AIは朝露の残る山を歩くことはできない。イノシシの足跡を見て、「昨日の雨のあとに通ったな」と感じることもできない。地域のお年寄りが何気なく話した一言に、時代の変化を読み取ることもできない。一次情報は、人間しか集められない。だから、私は、人間とAIは競争する関係ではなく、役割分担をする関係だと考えている。
人間が観察する。人間が問いを立てる。AIが知識を整理する。そして、最後は人間が現場で検証する。
この循環が、これからますます重要になるのではないだろうか。
私にとってブログは、情報発信のためだけのものではない。
観察したことを書き留める。問いを整理する。AIと対話する。そして、もう一度現場へ戻る。その繰り返しの記録である。
里山ラボも、観光プログラムや体験事業を提供することだけが目的ではない。
里山というフィールドで、変化する自然や地域社会を観察し、人間とAIが協働しながら問いを育てていく、小さな実験室だと思っている。
今回のNotebookLMで、一番印象に残ったのは、「質問がない」という反応だった。
しかし、今では、それを失敗だとは思っていない。むしろ、一つの研究結果だと考えている。
AI時代に本当に必要なのは、AIを使いこなす技術だけではない。
自分自身の問いを持つこと。
その問いは、SNSの画面からは生まれにくい。
季節の変化に気づき、人と話し、里山を歩き、「なぜだろう」と立ち止まる時間の中から育っていく。
里山ラボで続けている実証実験は、AIの性能を試しているのではない。
人はどうすれば、問いを持ち続けられるのか。
その答えを探すための実験なのかもしれない。
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