100日ダイエット「第9回」数字の檻の解体:解像度の変化と、その先にある静寂

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ブリット野口です。

開業19年目の自転車店主が、最新AIと共に「100日間で5kg減量」に挑むダイエット記録。
第1回:52歳100日ダイエット開始
第2回:心拍と足裏で身体を調律
第3回:AIプロチームの分析
第4回:データで管理する「身体の調律」
第5回:52歳の壁と無意味な疾走
第6回:数字の解釈と職人の違和感
第7回:ものさしの崩壊と真実を掴むための再構築
第8回:効率77%の静寂と数字の矛盾

「100日ダイエット」と銘打ったこの試みも、ついに最終盤へと足を踏み入れた。
手元には、スマートスケールとパワーメーターが吐き出した膨大なデジタル・ログが積み上がっている。しかし、100日を目前にした今、私の心境は「変化」への熱望からは程遠い場所にある。
むしろ、そこにあるのは、どこまでも平坦で、凪(なぎ)のようなフラットな感覚だ。

数字が示す「停滞」という名の完成
5月1日から10日にかけての第7セクション。私は計測システムをクランク計測へと刷新した。よりダイレクトに、より残酷に、私の肉体が絞り出す出力を可視化するためだ。

分析結果を並べてみる。
ターゲットである160W付近のラップデータ(2, 4, 6, 8, 10, 12)を注視すると、かつてのような「必死さ」が消えていることに気づく。5月4日には、あえてギアを一枚重くし、100回転という規律を自らに課した。5月8日には、平均163Wを出しながらも、心拍数は以前より低い154bpmで安定した。

ラップ数 平均パワー (W) 平均心拍数 (bpm) 平均ケイデンス (rpm)
2 161 147 109
4 164 152 104
6 160 155 103
8 164 156 104
10 165 155 104
12 168 159 107
平均 163.7 W 154.0 bpm 105.2 rpm

客観的に見れば、これは「身体能力の向上」という輝かしい成果だ。開始時から数えれば、約30Wの出力アップ。自転車乗りなら誰もが手放しで喜ぶ進化だろう。

だが、一方でフィジカルデータに目を移すと、そこには滑稽なほどの「無」が広がっている。体重は68kg台。BMIは23前後。体脂肪も筋肉量も、誤差の範囲内で微増減を繰り返しているだけだ。

日付 体重 (kg) 筋肉量 (%) 備考
5/1 68.2 71.8 クランク計測開始
5/2 67.8 72.6  
5/3 68.8 71.8  
5/4 67.8 72.3 インターバル実施
5/5 69.0 71.9  
5/6 69.4 71.2  
5/7 68.8 73.0 筋肉量ピーク
5/8 68.6 72.3 インターバル実施
5/9 68.8 72.4  
5/10 68.6 71.7  

普通のダイエットブログなら、ここで筆を折るか、あるいは「不都合な真実」を隠蔽するかもしれない。しかし、私はこの停滞にこそ、今回の試みの本質が隠されていると感じている。

狩猟の「眼」が教える、痕跡の取捨選択
この感覚を説明するのに、私は冬の山、猟期の後半に見せる自分の「眼」の変化を思い出さずにはいられない。

猟期が始まったばかりの11月、猟師の眼は「痕跡」に振り回される。
新しい足跡、食い散らかされた木の実、泥の跳ねた跡。あらゆる情報が等しく輝いて見え、そのすべてを拾い上げようとして、思考はパンクする。何が重要で、何がノイズなのか。判断の解像度が低いため、無駄な動きが増え、疲労だけが蓄積していく。

しかし、猟期後半、2月に入る頃には景色が一変する。
山の斜面には相変わらず無数の痕跡が散らばっているが、私の眼はそれらを「背景」として処理し始める。何百という足跡の中から、今、この瞬間、私の標的となる獲物が残した「生きた情報」だけが、浮き上がるように見えてくるのだ。

情報が増えたのではない。むしろ、見るべき情報を「削ぎ落とした」のだ。
経験というフィルターを通すことで、景色からノイズが消え、世界が静かになる。そのとき、判断力は最大化され、身体は思考を介さずに最適解を選び取るようになる。

今、3本ローラーの上で起きているのは、まさにこの現象だ。

数字の檻からの脱却
かつて、私にとってパワーメーターの数字は、自分を閉じ込める「檻」だった。
150Wを超えなければならない、100回転を維持しなければならない、体重を減らさなければならない。デジタルが提示する規範(ノルマ)に自分を適合させようと、私は檻の中で必死にもがいていた。
だが、続けていくうちに、その檻の感触が消えていった。
パワー、ケイデンス、心拍数、睡眠効率。それらの数字は、もはや私を支配するものではない。それらは「傾向」を見るための単なる手段、山の足跡と同じ「古い痕跡」に過ぎないのだ。

5月10日のデータでは、私のレム睡眠が深い睡眠に統合されるという計器上の「異常」が起きた。おそらくは計器の不調だろう。しかし、それでいいのだ。
私の身体が、既存のアルゴリズムでは測りきれない、あるいは分類できないほどの特異なリズムで動き始めたのだとしたら、それは計器の方が「古い」のである。

今の私にとって、160Wは「狙って出す数字」ではない。
100回転のリズムと、足裏に伝わるトルクの「質」が一致したとき、結果として、そこに160Wという数字が事後的に現れる。ただそれだけのことだ。
変化がなくなることは、退化ではない。それは「迷い」というノイズが消え、出力がフラットに、透明に洗練されていった結果の「完成」なのだ。

解像度の高い「暇つぶし」
データ収集の目的は、数字を増やすことでも、体重を減らすことでもなかった。それは、自分という複雑なシステムに対する「解像度」を高めるためのプロセスだったのだ。
思考を深め、なぜ心拍が上がるのか、なぜ、今朝の身体は重いのか、と問い続ける。その繰り返しが、無味乾燥な数字の羅列に「物語」を与え、判断力を養う。
ダイエットという世俗的な枠組みで始まったこの挑戦は、いつの間にか「身体との対話」という名の、知的で孤独な冒険へと変貌していた。

パワーが30W上がったところで、私の人生が劇的に変わるわけではない。
山を歩くとき、少しだけ息が上がりにくくなる。罠を仕掛けるとき、少しだけ身体のキレが良くなる。その程度の微差だ。
だが、体験しないとわからなかったこの「フラットな感覚」は、何物にも代えがたい。
数字の檻を解体したあとに残ったのは、自分の肉体を完全に支配できているという静かな全能感と、それを「人生の暇つぶし」として笑い飛ばせる余裕である。

残り20日。私は、この「豊かな無意味さ」を、最後まで存分に味わい尽くすつもりだ。
体重計の針は動かなくてもいい。計器がバグを起こしても構わない。私の眼には今、最高に解像度の高い「自分」という景色が見えている。

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