100日ダイエット「第12回」100日ダイエットを終えて「人生は死ぬまでの暇つぶし」
ブリット野口です。
開業19年目の自転車店主が、最新AIと共に「100日間で5kg減量」に挑むダイエット記録。
第1回:52歳100日ダイエット開始
第2回:心拍と足裏で身体を調律
第3回:AIプロチームの分析
第4回:データで管理する「身体の調律」
第5回:52歳の壁と無意味な疾走
第6回:数字の解釈と職人の違和感
第7回:ものさしの崩壊と真実を掴むための再構築
第8回:効率77%の静寂と数字の矛盾
第9回:解像度の変化と、その先にある静寂
第10回:機械化する肉体と動かぬ体重
第11回:数字は真実を映すのか
100日ダイエットが終わった。3月から始めた3本ローラー中心のトレーニング。体重、体脂肪率、睡眠、安静時心拍、パワー、ケイデンス。毎日データを記録し、AIに解析させながら、自分の身体という「機械」の変化を観察し続けた。当初の目標はシンプルだった。
「100日で5kg減量する」
52歳。自転車店を開業して19年。かつてはMTBレースに出場し、心拍を限界まで追い込むことも日常だった。しかし、コロナ禍以降、運動量は減り、気が付けば体重は70kg近くまで増えていた。だから、今回の挑戦は、単なる減量ではなく、自分自身の再構築でもあった。
最初にやったのはトレーニングではない。センサーの電池を確認し、異常値を出す心拍ベルトを交換し、計測環境を整えることだった。整備士にとって、狂った計器ほど信用できないものはない。正しい数字を集めることから、この実験は始まった。
3本ローラーに乗るたび、自分の身体の不協和音を感じた。心肺は苦しく、脚は重い。かつて当たり前に出せていた出力が限界領域になっていた。しかし、その中で一つの発見があった。それは、かつて自転車トライアルで鍛えた「足裏の感覚」だった。チェーンの張り。タイヤの転がり。股関節の位置。数字を見る前に、身体が効率の良い場所を探し始めた。感覚が先にあり、数字が後から追いかけてくる。この頃はまだ、数字と感覚は同じ方向を向いていた。
やがて、AIによる分析も始まった。食事、睡眠、体重、出力。データを並べると、身体は確実に変化していた。平均出力は上がり、安静時心拍は下がる。筋肉量は維持され、巡航能力も向上した。ところが、肝心の体重だけは思うように落ちない。頑張れば痩せる。消費カロリーが摂取カロリーを上回れば体重は減る。
そんな単純な理屈を信じていたが、52歳の身体は思った以上に複雑だった。61kgまで急激に落ちた時には、強烈な眠気に襲われた。それは数年前、極端な糖質制限で救急搬送された時とよく似た感覚だった。数字だけを追い、人間を機械のように扱った結果、身体が強制停止しようとしたのである。
今回は違った。数字を見ながら、自らブレーキを踏んだ。体重を戻し、休息を入れ、身体を立て直した。結果として、出力は向上し、150W近辺を安定して維持できるようになった。この経験は大きかった。数字は大切だ。しかし、数字だけでは身体を説明できない。そんな当たり前のことを、私は改めて学んだ。
中盤以降になると、テーマはさらに変化していった。効率を追い求めた結果、身体は省エネ化していく。同じ出力を、より少ない負担で出せるようになる。ところが、その最適化は皮肉なことに「痩せにくい身体」を生み出していた。効率という正解に近づくほど、減量という目標から遠ざかる。数字の世界では矛盾に見える出来事だった。
そして、31日目。体重がほとんど変わらない現実を前に、私は3本ローラーの上で一つの結論に辿り着いた。どれだけペダルを回しても、現実には1ミリも前に進んでいない。時速40kmで回転していても、景色は変わらない。ふと気付いた。人生も少し似ている。何か大きな意味や目的に向かっているようでいて、本当は日々の作業を繰り返しているだけなのかもしれない。そこで生まれたのが、この100日を貫く一つの考え方だった。
人生は死ぬまでの暇つぶし。
これは諦めではない。むしろ逆だ。意味を求めなくなった時、毎日の行為そのものが面白くなった。狩猟で山を歩くこと。3本ローラーを回すこと。体重を測ること。数字を眺めること。どれも大した意味はない。しかし、その手間の中に確かな楽しさがある。
100日後、私は目標だった65kgには届かなかった。体重は67〜69kgの範囲を行き来し続けた。ダイエットとして採点すれば、決して満点ではない。だが、出力は約30W向上した。安静時心拍は低下した。疲れにくくなった。山を歩く身体も変わった。そして、何より、自分の身体を以前より深く理解できるようになった。
AIは多くのことを教えてくれた。相関も見つけてくれた。改善案も示してくれた。しかし、最後に意味を与えるのは人間だった。数字は真実を映す。だが、それは真実の一部分に過ぎない。睡眠時間は測れても、朝の気分までは測れない。心拍は記録できても、山の空気の匂いまでは残らない。体重は分かっても、その身体で何を感じたかまでは教えてくれない。
100日間で分かったことは、身体は思っていた以上に複雑で、人間は数字だけでは語れないということだった。これからも私は、山を歩き、自転車に乗り、数字を記録するだろう。数字と感覚の間を行き来しながら、人生という長い暇つぶしを、もう少し楽しんでみようと思っている。
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