最後のヤマ「池島」炭鉱の終わりと野生の始まりを見た。厳木のガイドが池島を訪ねた理由とは?
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最後のヤマ「池島」炭鉱の終わりと野生の始まりを見た。厳木のガイドが池島を訪ねた理由とは?
ブリット野口です。
長崎の西海に浮かぶ池島。2001年に閉山した九州最後の海底炭鉱の島です。そして、2027年3月末、この島で続けられてきた「炭鉱体験ツアー」が終了します。
そのタイムリミットを前に、私は池島へ向かいました。目的は、単なる廃墟見学ではありません。私が厳木で取り組むサイクルツアーに、さらに深い物語を加えるためです。そこで目にしたのは、産業の記憶が今も息づく風景と、人間が去った後に始まる新しい時間の流れでした。
機械化の頂点にあった最後の炭鉱
坑道に降り立った瞬間、私は厳木の炭鉱との大きな違いを感じました。明治から昭和にかけての厳木は、人力による採掘も多く、落盤やガス爆発と隣り合わせの「命がけのヤマ」でした。一方、池島は昭和後半から2001年まで、日本のエネルギーを支え続けた最後の大型炭鉱です。巨大なロードヘッダーが導入され、安全管理も徹底されていました。出炭効率は日本一を誇り、まさに機械化の最前線だったのです。案内してくれたのは、元三井松島産業の社員で、現在も島に暮らしている方でした。その語りからは、「日本の近代化を最後まで支え抜いた」という現場の誇りが伝わってきました。
終わりへ向かう島の日常
現在の池島では、小中学校の児童・生徒はわずか2人。
「先生は十数人もいるんですよ」
ガイドさんは笑いながら、そう話してくれました。外から見れば贅沢な教育環境ですが、その言葉の裏には、人口減少という厳しい現実があります。最盛期には約8,000人が暮らし、「池島銀座」と呼ばれるほど賑わった島。しかし、今では静寂に包まれています。かつて、50棟あった三井の社宅アパート群で、現在も灯りがともるのは1棟だけ。そこに元炭鉱関係者の方々が暮らしています。
行政も新たな入居を止めており、島の人口は今後さらに減っていくでしょう。炭鉱体験ツアーの終了は、一つの観光事業が終わるというだけではありません。
それは、池島が新しい段階へ進もうとしていることを象徴しているようにも感じられました。
人が去り、野生が戻ってくる
そして、私の興味を強く引いたのが、島の自然でした。
「松島から猪が泳いで渡ってきて、住み着いとるよ」
ガイドさんの何気ない一言に、罠猟師である私は思わず反応しました。対岸の松島から池島までは約5キロ。その距離を泳ぎ切った猪が、新しい生息地として、この島を選んだのです。車での見学だったため、足跡やヌタ場などの痕跡を詳しく確認することはできませんでした。それでも猟師の目で見ると、使われなくなった建物や草木が茂った場所は、野生動物にとって格好の環境に映ります。人が減った場所に、少しずつ別の命が居場所をつくり始めている。池島では、そんな変化の気配を確かに感じました。
引用:長崎市公式観光サイト
「現在の厳木」は「池島の未来」かもしれない
池島を歩きながら、私の頭の中では厳木の風景が何度も重なりました。厳木の炭鉱遺構の多くは、すでに森に包まれています。わずかなコンクリート片や炭鉱石杭から、かつて、そこに炭鉱があったことを教えてくれます。しかし、池島を訪れたことで、その景色の見え方が変わりました。厳木の緑豊かな里山は、最初から静かな自然だったわけではありません。そこにはかつて、人々が働き、暮らし、エネルギーを掘り続けた時間がありました。そして、人が去り、自然がゆっくりとその場所を包み込んでいった。私は、池島の現在の姿に、厳木が歩んできた時間の流れを重ねて見ていました。
引用:長崎市公式観光サイト
脳内に炭鉱を再生する、厳木のサイクルツアーへ
池島が巨大な遺構を「目で見せる炭鉱」だとすれば、私が厳木で目指すのは少し違います。それは、ガイドの言葉によって、参加者の頭の中に炭鉱を再生してもらう旅です。自転車だからこそ行ける森の際や、点在する炭鉱石杭、小さな遺構。それらを一本の線としてつなぎながら、かつて、この地にあった営みを想像していただく。
そして、こうお伝えしたいのです。
「ただの田舎に見えるかもしれません。でも、この景色には人々の暮らしと産業の記憶が眠っているんです。」
炭鉱の歴史、獅子城の石の文化、そして、今を生きる野生の息遣い。池島で見た「幕引きのリアル」は、厳木の物語を語るための大切な補助線になりました。
日本の近代化、その先にある時間の流れを、私と一緒に自転車で旅してみませんか。
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