人生後半の移動手段は3段階で考える
ブリット野口です。
自転車屋という仕事を長く続けていると、お客様の年齢も一緒に重なっていく。若い頃にロードバイクを買っていただいた方が定年を迎え、クロスバイクに乗っていた方が電動アシスト自転車を検討し始める。そして、親の介護や免許返納の相談を受けることも増えてきた。そんな中で最近考えることがある。
人生後半において、本当に大切なのは、何に乗るかではなく、どこまで自分の力で移動できるかではないだろうか。
田舎で暮らしていると、そのことを強く感じる。
都会なら電車がある。バスもある。タクシーも呼べる。しかし、里山では事情が違う。スーパーまで数キロ。病院まで十数キロ。役場や郵便局へ行くにも移動手段が必要になる。車を運転できる間は気付かないが、もし、運転できなくなったらどうなるだろう。移動できなくなることは、単に不便になることではない。自由を失うことでもある。だから、私は、人生後半の移動手段には三つのグラデーションがあると考えている。
最初の段階は電動アシスト自転車だ。まだ、体力があり、バランス感覚も保たれている世代。おおよそ60代から70代前半くらいだろうか。
電動アシスト自転車は移動を楽にするだけではない。ペダルを踏み、周囲を見て、体を使い続ける。筋力も維持できるし、外出する機会も増える。健康寿命を延ばす乗り物でもある。
最近は高性能な電動アシスト自転車も増え、坂道の多い地域でも無理なく移動できるようになった。まだ、自分の足で歩き、自転車に乗れる人には最良の選択肢だと思う。しかし、年齢を重ねれば、やがて膝や腰に不安が出てくる。長い坂道がつらくなり、転倒への不安も大きくなる。
そこで、次の段階として見えてくるのが特定小型原付だ。特定小型原付というと若者向けの新しい乗り物という印象を持つ人も多い。しかし、私は、むしろ人生後半にこそ可能性があると感じている。ペダルを踏む必要はない。車検もない。維持費も比較的安い。何より、自分の意思で移動できる。
免許返納を考え始める世代にとって、「移動を諦めるか」「車に乗り続けるか」の二択ではなく、新しい選択肢になり得る。もちろん、雨の日や長距離移動には向かない。しかし、買い物や通院、近所への移動であれば十分に役立つ可能性がある。
そして、最後の段階がセニアカーだ。多くの人はセニアカーに乗ることを、老いの象徴のように考えている。しかし、本当にそうだろうか。私はむしろ、逆だと思う。セニアカーは、自立をあきらめないための乗り物だ。自分で買い物へ行く。自分で病院へ行く。友人に会いに行く。移動できるから社会とのつながりが続く。
移動できなくなれば、人は家の中に閉じこもりやすくなる。そして、閉じこもることが、心身の衰えを加速させる。だから、セニアカーは終着点ではなく、自立した暮らしを延ばすための道具なのだと思う。
こうして考えると、電動アシスト自転車、特定小型原付、セニアカーは別々の商品ではない。人生後半を支える一本の道の上に並んでいる。自転車屋として商品を販売しているつもりだったが、最近は少し違うように感じている。私たちが提供しているのは乗り物そのものではない。移動する自由なのかもしれない。
人生の後半になると失うものが増えていく。体力、視力、記憶力。そして、いつかは運転免許も手放す日が来る。それでも、最後まで残したいものがある。それは、自分の意思で行きたい場所へ行ける自由だ。里山で暮らしていると、その価値がよく分かる。移動できるということは、生きているということでもある。
だから、私は今日も、自転車や特定小型原付、セニアカーについて考えている。それは、乗り物の話ではなく、人生後半をどう生きるかという話なのかもしれない。