人生の折り返しと移動の記録⑤倉庫に残されたもの

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ブリット野口です。
この記事の続編を6回連続でブログアップしています。

里山で暮らしていると、人が残していくものについて考えることがあります。それは、財産の話ではありません。もっと小さなものです。使い込まれた道具や、倉庫の片隅に置かれた品々。そういうものです。

私は自転車屋をしているので、お客様が施設に入られたり、亡くなられたりした後に、乗り物の相談を受けることがあります。電動三輪車だったり、自転車だったり、ときには古いバイクだったりします。引き取りに伺うと、多くの場合、それらは倉庫や納屋に置かれています。何年も放置されていたように見えることもあります。けれど、近づいてみると、そうではありません。
つい最近まで使われていたことが分かるのです。空気の入ったタイヤ。整然と並べられた工具。予備の鍵。大切に保管された説明書。そこには暮らしの跡が残っています。

私はそういうものを見るたびに、その人の姿を想像します。
朝起きて倉庫を開ける。空気圧を確認する。ヘルメットを被る。そして、買い物へ出掛ける。そんな当たり前の日常です。けれど、その当たり前の日常は、ある日突然終わります。
病気だったのかもしれません。転倒だったのかもしれません。あるいは年齢によるものだったのかもしれません。理由は様々です。

しかし、暮らしが終わっても道具は残ります。私は以前、ある倉庫で草刈機を見つけました。古い機械でしたが、きれいに手入れされていました。燃料も抜かれている。刃も研がれている。
今すぐ使える状態でした。その姿を見て、持ち主の性格が少し分かる気がしました。きっと几帳面な人だったのでしょう。仕事を終えたら手入れをして、次に使う準備をしていた。そんな姿が目に浮かびます。人は亡くなっても、その人らしさは道具の中に残るのかもしれません。

自転車も同じです。サドルの高さ。ハンドルの角度。カゴの中に残された買い物袋。どれもその人の暮らしを物語っています。だから、私は回収に行くたびに不思議な気持ちになります。機械を引き取っているはずなのに、人の人生に触れているような気がするのです。

家族はよく言います。「もう使う人がいないから」確かにその通りです。けれど、その言葉の奥には様々な感情があるように感じます。寂しさもあるでしょう。安心もあるでしょう。ようやく片付けられるという気持ちもあるかもしれません。人の暮らしは、残された家族によって整理されていきます。
服を片付ける。家具を片付ける。そして、乗り物も片付ける。その一つひとつが区切りなのだと思います。

最近は、回収した電動三輪車を整備して次の人へ届けることもあります。新品ではありません。傷もありますが、まだ十分使えます。その時に私は時々考えます。この三輪車は二度目の人生を歩いているのだろうか。前の持ち主が見た景色と新しい持ち主が見る景色。それはきっと違うはずです。

しかし、どちらも同じように暮らしの一部になるのでしょう。里山では、人も物も最後まで使い切ります。鍬も鎌も、何十年も働きます。修理しながら使います。それは、単に物を大切にするということではなく、暮らしを大切にするということなのかもしれません。だから、私は倉庫に残されたものを見るのが嫌いではありません。
そこには人生の続きがあるからです。人はいつか居なくなりますが、その人が使っていた道具はしばらく残ります。そして、残された道具は、静かに語りかけてきます。どんな景色を見てきたのか。どんな毎日を過ごしてきたのか。もちろん、本当のことは分かりません。想像しているだけです。それでも、倉庫の中に立っていると、人が生きた時間の重みを感じることがあります。

自分もいつか何かを残していくのでしょう。
工具かもしれません。自転車かもしれません。草刈機かもしれません。その時、残された人は何を思うのだろう。そんなことを考えながら、今日も私は倉庫の扉を開けています。

<人生の折り返しと移動の記録 シリーズ一覧>
人生の折り返しと移動の記録①誰も乗らなくなった電動三輪車
人生の折り返しと移動の記録②最後の免許更新
人生の折り返しと移動の記録③草刈りに行けなくなった日
人生の折り返しと移動の記録④残された電動三輪車
人生の折り返しと移動の記録⑤倉庫に残されたもの
人生の折り返しと移動の記録⑥人はいつ乗り物を降りるのか

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