人生の折り返しと移動の記録②最後の免許更新

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ブリット野口です。
この記事の続編を6回連続でブログアップしています。

里山で暮らしていると、季節の変わり目よりも先に、人の変化に気付くことがあります。
最近、軽トラックを見なくなった。しばらく畑に来ていない。夜に出歩かなくなった。そんな小さな変化です。

免許返納という言葉を聞くと、多くの人はある日突然、運転をやめることを想像するかもしれません。しかし、実際にはそうではありません。運転をやめる日は、その何年も前から始まっているように見えます。

私は自転車屋をしているので、地域の人たちと長く付き合うことがあります。
若い頃から知っている人が年を重ね、少しずつ暮らし方を変えていく姿を見てきました。七十代までは元気だった人も、八十歳が近づく頃になると変化が現れます。

まず、遠出をしなくなります。次に夜の運転を避けるようになります。雨の日は家から出なくなります。そして、いつの間にか、行動範囲が狭くなっていきます。
本人は特に何も言いません。周囲もあまり気付きません。けれど、その変化は確実に進んでいます。ある人は病院へ行く回数だけが残り、ある人はスーパーへ行く距離だけが残ります。若い頃には何十キロも走っていた人が、数キロの移動だけになる。
そんな場面を何度も見てきました。だから、私は思うのです。

免許返納とは、一枚の免許証を返すことではないのかもしれない。
それは、人生の中で少しずつ縮んでいく行動範囲を受け入れることなのかもしれません。もちろん、運転を続ける人もいます。九十歳近くになっても軽トラックで畑へ向かう人がいます。一方で、七十代で運転をやめる人もいます。そこに明確な基準はありません。体力だけでもありません。病気だけでもありません。家族の事情もあります。住んでいる場所も関係します。だから、誰かにとっての正解が、別の誰かの正解になるとは限りません。

以前、あるお客様がこう話していました。「車を手放したら、急に年を取った気がした」その言葉が今でも印象に残っています。
実際に年齢が変わるわけではありません。しかし、自分の意思で好きな場所へ行けるという感覚は、人が思っている以上に大きなものなのかもしれません。
反対に、運転を続けることへの不安を抱えている人もいます。事故のニュースを見るたびに、自分は大丈夫だろうかと考える。家族から心配される。それでも車を手放せない。地方ではそんな人も少なくありません。

私はどちらが正しいとは言えません。運転を続けることにも理由があり、やめることにも理由があるからです。ただ、集落を見ていると感じることがあります。
最後の免許更新の日は、更新センターで訪れるのではなく、もっと前から始まっているのではないかということです。
夜道を避けるようになった日。遠出をやめた日。雨の日に運転しなくなった日。そんな小さな選択の積み重ねの先に、返納という決断があるのかもしれません。

最近、里山を歩いていると、かつて軽トラックが停まっていた場所に草が伸びていることがあります。
あの人は元気にしているだろうか。施設に入ったのだろうか。それとも家で静かに暮らしているのだろうか。
考えても答えは分かりません。けれど、免許証一枚の向こう側には、それぞれの人生があるのだと思います。
最後の免許更新とは何なのだろう。更新センターで受ける講習なのか。それとも、自分自身と向き合う時間なのか。

里山で暮らしていると、そんなことを時々考えます。

<人生の折り返しと移動の記録 シリーズ一覧>
人生の折り返しと移動の記録①誰も乗らなくなった電動三輪車
人生の折り返しと移動の記録②最後の免許更新
人生の折り返しと移動の記録③草刈りに行けなくなった日
人生の折り返しと移動の記録④残された電動三輪車
人生の折り返しと移動の記録⑤倉庫に残されたもの
人生の折り返しと移動の記録⑥人はいつ乗り物を降りるのか

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