人生の折り返しと移動の記録①誰も乗らなくなった電動三輪車

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ブリット野口です。
この記事の続編を6回連続でブログアップしています。

里山で暮らしていると、人の人生の変化を季節のように感じることがあります。
春になると草が伸びる。夏になると草刈りが始まる。秋になると稲刈りが終わる。そして、冬になると、人は少しずつ家の中で過ごす時間が増えていく。

私は自転車屋という仕事柄、多くの人の移動手段に関わってきました。
その中でも印象に残るのが、電動アシスト三輪車です。初めて三輪車を買いに来るのは、本人よりも家族であることが少なくありません。
「車の運転が心配になってきた」「病院だけでも自分で行けるようにしたい」「買い物くらいは続けてほしい」
そんな思いから購入を決めます。納車の日はみなさん嬉しそうです。新しい移動手段を手に入れるというより、自分で動ける時間をもう少し延ばしたいという気持ちが伝わってきます。

しかし、販売して数年後。私は別の場面に立ち会うことになります。
「施設に入ることになりました」「もう乗れなくなりました」
そんな連絡です。回収に伺うと、三輪車は倉庫の隅に置かれていることが多い。埃をかぶりながらも、タイヤにはまだ空気が残っています。バッテリーも生きている。少し整備すれば、まだ十分使える状態です。けれど、乗る人はいません。その光景を見るたびに考えます。
乗り物には寿命があるのでしょうか。それとも、人の暮らしの方に寿命があるのでしょうか。

私はこれまで何台もの三輪車を販売してきました。しかし、その先に何があるのかを深く考えたことはありませんでした。売ることが仕事だったからです。
ところが、回収に行くようになって気付いたことがあります。三輪車は単なる乗り物ではありません。その人が最後まで自分で移動しようとした記録なのです。
病院へ行った日。スーパーへ買い物に行った日。近所へお茶を飲みに行った日。そんな日々が積み重なっています。
だから、私は、回収するたびに少し複雑な気持ちになります。機械として見れば、まだ使える。しかし、その人にとっての役目は終わっている。
役目を終えた三輪車は、どこか静かです。

最近は、こうした三輪車を再び必要としている人へ届けられないかと考えるようになりました。
新品では高価でも、中古なら手が届く人もいるかもしれません。誰かの人生を支えた乗り物が、また別の誰かの暮らしを支える。そんな循環があればいいと思っています。ただ、それが正解かどうかは分かりません。三輪車を見ていると、人の暮らしそのものを見ている気がするからです。里山では、人も道具も最後まで使い切ります。鍬も鎌も、何十年も使われます。乗り物も同じなのかもしれません。

まだ使えるのに、誰も乗らなくなった電動三輪車。その姿を見るたびに、私は考えます。人はいつ乗り物を降りるのだろう。そして、その時に何を残していくのだろう。答えはまだ見つかりません。だから、今日も里山で人と乗り物を眺めながら考えています。

<人生の折り返しと移動の記録 シリーズ一覧>
人生の折り返しと移動の記録①誰も乗らなくなった電動三輪車
人生の折り返しと移動の記録②最後の免許更新
人生の折り返しと移動の記録③草刈りに行けなくなった日
人生の折り返しと移動の記録④残された電動三輪車
人生の折り返しと移動の記録⑤倉庫に残されたもの
人生の折り返しと移動の記録⑥人はいつ乗り物を降りるのか

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