【奇跡の巡り合わせ】自転車が結んだ「肥前狛犬」との10年の旅路

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ブリット野口です。

佐賀の里山を自転車で巡る里山サイクリングは「ひとつの出会い」から始まりました。それは、愛らしい石造物文化の遺産、「肥前狛犬」です。そして、この旅を誰よりも深く、誰よりも熱く支えてくれているのが、当店の常連客である鶴田さん(仮名)です。

鶴田さんが初めてお店に来てくれたのは、もう15年近く前のことになります。高性能なロードバイクを組み、常連客になった彼に、私が趣味で集めている郷土史の本を見せながら、ふと口にしたのです。

「鶴田さん、この辺りの里山には、他所にはない面白い石造物があるんですよ。『肥前狛犬』って言うんですが、愛嬌があって、まるで小型犬のようで…」

その瞬間、彼の目に好奇心の炎が灯ったのを覚えています。当時、肥前狛犬は、まだ一般にはほとんど知られていない存在でした。そのずんぐりとした体躯、直線と曲線で大胆にデフォルメされたユーモラスな表情に、彼は一瞬で心を奪われたと言います。

それから、鶴田さんは「肥前狛犬ハンター」になりました。休日になれば、当店で調整した愛車を駆り、私が教えた手掛かりと、彼自身が見つけた資料を頼りに、集落の奥、森の片隅にひっそりと佇む小さな祠や神社の境内を探し回りました。道なき道を押し進み、地域の方に挨拶を交わしながら、風化に耐えてきた愛らしい守り神たちと次々に出会っていったのです。

「このルートはアップダウンが少なくて初心者でも回りやすいですよ」「ここの狛犬は頭に角のような突起があって珍しい」「あそこの狛犬は風化が進んで表情が分からなくなっています」

彼が提供してくれる情報は、私が主催する里山サイクリングツアーの「生きた地図」となり、小城、多久、厳木の肥前狛犬を巡るコースが開拓されました。彼は、私が蒔いた小さな歴史の種を、誰よりも大きく育ててくれた、この肥前狛犬を巡る旅の共同開拓者です。そんな、肥前狛犬に人生を捧げたと言っても過言ではない鶴田さんの元に、先日、まさしく「奇跡」としか言いようのない出来事が起こりました。私が次のツアーに向けたサイクリングルートを検討するため、地図を広げている最中に、鶴田さんから興奮した声で電話がかかってきたのです。

「見つけました!私の実家の庭に、ずっと隠れていたんです!」

話を聞けば、佐賀県内の実家に帰省していた鶴田さんが、縁側でぼんやりと庭を眺めていたときのこと。長年、植え込みの陰に半ば埋もれ、苔むした二つの石があることに気がついたというのです。彼は、10年間の探求で培った「肥前狛犬ハンターの嗅覚」を使って、その苔むした石の丸みと、微かに残る造形の共通性を見抜いたのでした。慌てて土を掘り起こし、泥を洗い流してみると、そこには、見慣れた、あの愛嬌たっぷりの「ブサ可愛い」姿。まさしく彼が10年追い求めてきた、肥前狛犬でした。その狛犬は、長年の庭木の成長と共に静かに土に抱かれていたようで、祖父母の代にも存在を知る者はなく、完全に忘れ去られていたのです。

「まるで、私から話を聞いたあの日から、探し求めていたことを知っていて、帰省を待って、ひょっこり顔を出してくれたみたいだ」

鶴田さんは感無量の様子でした。そして、数日後、彼はその奇跡の肥前狛犬を、活動拠点としている厳木の我が家へ連れてきてくれました。車から運び出された二体の石像は、庭の土中で守られていたおかげか、風化が激しい里山の狛犬たちに比べて、造形が比較的はっきり残っていました。特に、長い年月を経て土に揉まれた体表の質感は、鶴田さんがこれまで自転車で巡ってきた里山の記憶と、歴史の重みをすべて背負っているかのように見えました。彼は、その狛犬の頭を撫でながら静かに言いました。

「10年間、神社仏閣を巡って、狛犬たちの居場所を記録し、その物語を語り継いできました。でも、まさか自分の手元に来てくれるなんて。これは、狛犬たちが私にくれた『勲章』なのかもしれません」

肥前狛犬は、戦国時代から江戸時代に約150年という短い期間で姿を消した、はかなくも愛らしい石の文化です。その姿は、しばしば「静的」と表現されますが、この狛犬たちが帰省という偶然から発見され、鶴田さんの元へたどり着いた物語は、私の心に深く響き、長き時間を超えた「奇跡の巡り合わせ」となったのです。

里山サイクリングは、ただの歴史探訪だけではありません。それは、風と共に消えかけた地域の物語を、自転車で追いかけ、現代に繋ぎ止める旅です。そして、鶴田さんと肥前狛犬のこの奇跡的な出会いは、私たちが探し求めている歴史のロマンが、いつか必ず、私たち自身の日常に舞い降りてくることを教えてくれました。


厳木の地を訪れた二体の狛犬は、これからは鶴田さんの元で、この里山サイクリングを見守り続けてくれるはずです。そして、私は、彼の愛車を整備し、これからもこの愛すべき石の守り神たちの物語を自転車と共にガイドツアーとして語り継いでいきます。

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